笑って 笑って ちょっとだけ泣かせて 30年
1994年10月10日旗揚げ、劇団結成30周年を迎えた『あちゃらかきっず』。約30名の団員をまとめ「その人のいいところを見つける天才」と団員たちから慕われている中山孝一さん。これまでの演劇人生を語ってもらった。
『あちゃらかきっず』と『足利市民プラザ演劇祭』

『あちゃらかきっず』発足前、中山さんはバンド仲間と共に、ライブハウスで月に1回ライブを行っていた。しかしここが閉店となり、バンド活動ができなくなったことで、若いエネルギーを劇団立ち上げに向けることになった。団員はこのバンド仲間と、中山さんが高校時代所属していた演劇部の部員が中心だった。
「高校卒業後に1年間ほど、市内の劇団で演劇の経験はあったのですが、ほぼゼロからのスタートでした。旗揚げはしたものの、公演の方法もわからず、とりあえず足利市民プラザに相談に行くと、職員の下山さんが『足利市民プラザ演劇祭』を企画途中でした。当時足利市の市民劇団は『演劇工房DONDEN』と『TTCプロジェクト』の2つだけ。2劇団では祭りにならないと、同演劇祭の話がストップしていました。そこへ我々の劇団が加わり3劇団となり、同演劇祭の開催が決定しました。」
今年も『足利市民プラザ演劇祭2025』が開催される。しかし第1回目から出演している劇団は『あちゃらかきっず』のみ。劇団の歴史とそのまま重なる同演劇祭でもある。30年の間に徐々に増えた劇団の数も現在は減り、フリーで活動している役者が増え、プロデューサーがその都度、役者を集めて芝居をつくる形が多くなった。
演劇人口を増やす!
「結成時は団員を募集し、裏方も含め15~16人からのスタートで、その内の2人は高校生でした。当時の劇団のコンセプトの一つは『演劇人口を増やす!』。そのためには、コアな人が観るものではなく、老若男女どんな人たちが観ても楽しめる、そんな芝居をつくりたいと考えていました。もう一つは『笑って笑ってちょっとだけ泣いて、見終わった後に心に残らない芝居を!』というもの。心に残らない芝居と言うと、演劇仲間からよく怒られるのですが、芝居を観た後に『面白かった!でもどこが面白かったっけ?』ぐらいに軽い気持ちで楽しんで欲しいのです。お金払って苦しい芝居を見せられるなんて嫌ですよね。」
劇団がまだ若い頃は、好きなものを好きっ!とストレートに表現する現代劇も多く手がけていたが、年齢を重ねるにつれ、心の機微を織り込んだ人情喜劇を多く取り上げるようになったという。
30年の絆は「任せ上手」

「劇団の特徴として、花形の役者がいるわけではないから、何があってもチームワークで乗り切ってきました。さらにいうと、この劇団は歴代製作と演出の住田政子さんで持っているんです。私のわがままを聞いてくれるので助かっています。大道具も素晴らしいですし、とにかく全てを周りの団員に任せています。信頼のおける仲間に囲まれてる、それが一番だと言い切れます。」と頷く。
演出の住田さんに中山代表について聞くと。
「とにかく任せるのが上手です。一度任せたら口を挟まないですね。本当に困っていたらギリギリまで待ってアドバイスをくれますが、それ以外は見守っていて、劇団全体の信頼関係を壊さない方法をみつけてくれます。さらに、人を否定しないことで、変わった人が集まってくるという側面もありますが…人のいいところを見つける天才ですね。」強い絆が見える。
10年の目標が30周年を迎えて

結成時の目標の一つに「10年は劇団を続けたい」があったそうだ。演劇人として尊敬する、安堂達也(芸名)氏が旗揚げした『夢回帰線86/91』が8年ほどで幕を下ろし、自分たちはそれを超えたいと考えていた。が、既に目標の3倍の時間をクリアしている。
そんな中山さんには遥か昔、自分でつくった劇団を自分で潰すという夢があったとか。
「あちゃらかきっずより、すごい劇団を立ち上げて競いたい!…みたいな。ところが、誰に声をかけてもあちゃらかきっずを継いでくれる人がおらず、この劇団を離れることができずに今に至っています。」本音を聞くと、動けるうちにやりたいことが沢山あるという。その一つがプロデュース公演、そして2~3人と少人数の作品、さらにはコント集などの短編、台詞の無い芝居などなど…同劇団以外の活動にも期待が膨らむ。
この話には続きがあり、最近、劇団を継いでもいいと手を挙げる人が現れた。中学2年生の中山さんの娘である。高校に入学したら、演劇部に入り劇団のノウハウを学んだあかつきには劇団を継ぐつもりだという。「どうなることかと思っていますが、楽しみですね。」中山さんの顔がほころぶ。
宅間孝行さんとの出会い


演劇活動を通して、中山さんが出会った感動のエピソードを聞くと。
「尊敬する宅間孝行さんが足利に来てくれたことですね。俳優・脚本家・映画監督もしている方です。きっかけは、宅間さんの作品を我々が演じた芝居を、市民プラザの下山さんが観て面白いと思ってくれたことでした。下山さんは宅間さんの芝居を東京まで観に行き、足利での公演を依頼、実際に市民プラザで芝居を観ることができました。宅間さんは足利で映画のロケも行い、その後YouTubeのネットドラマの撮影ではうちの団員と娘が出演させていただきました。嬉しかったですね。」
さらに、映画やテレビドラマのエキストラとしての起用が増え、刑事役や銀行員役で、大物俳優と同じ画面に収まることも多くなったそうだ。プロの役者を目指しているわけではない自分にとって、エキストラはちょどいいポジションなのだという。
足利市民プラザ演劇祭2025は『オミソ』


演劇を行う上で一番重要なことは?
「台本選びですね。基本は笑っていただきたいのですが、それだけではなく、最後には自分の周りの家族や友人に優しい心で接したくなるような…、そんな感動を入れたいですね。また『演劇人口を増やす!』にもつながるのですが、初めて演劇を観に来た人に、生の芝居の面白さや感動を届けたいのです。私も映画好きですが、映画のそれとは全く違い、衝撃がダイレクトに観客の心に伝わってきます。そのためにも台本選びは重要です。」
今年も「足利市民プラザ演劇祭」の舞台に立つ。その作品も原点に帰った台本を選んだという。
「今回のタイトルは『オミソ』、岩瀬顕子さんの脚本です。彼女は宇都宮出身でとちぎ未来大使でもあり、俳優として世界で活躍し、映画の監督もしています。作品は栃木の味噌蔵が舞台で、栃木の劇団である我々が、30周年の記念に演じる演目として相応しいと思い選びました。登場人物は22歳から82歳までの10人。バブルの頃、地上げ屋が世間を騒がせていたあの時代の物語。味噌蔵を経営している家族に降りかかる地上げや相続の問題を、得意の笑いと涙で綴るストーリーに仕上げています。」
実は、来年の上演作品もすでに決まっているとのこと。16~17人と出演者が多い作品で、こちらもぜひ楽しみにしてほしいという。『あちゃらかきっず』の笑いと涙の芝居にこれからも期待したい。