
『Wish You A Merry Christmas』
(Reprise)
家族ファースト
世界的スターが家族で歌うクリスマスソング集(1969年)。だが冷静に考えて、シナトラ級のスターが家族といっしょにクリスマスを過ごす絵など想像できない。ファンにしてみれば、「年に一度はぜいたくな夜を」と、彼のディナーショーに足を運びたいとおもうだろうから。
事実、長男のシナトラJr.は父との思い出がまるでなく、そのまま成人になり、歌手フランク・シナトラの教えだけを守って、各地のクラブを巡演するラウンジ歌手として下積み時代を過ごした。つまり実生活では叶わない一家団らんをクリスマスソングに仮託し、フィクションのなかで実現させるための企画アルバム、といったら皮肉がキツいだろうか。
だが、スターに付き物の光と影はシナトラとて無縁ではない。だからだろうか、白い歯をこぼすここでの表紙もそれ風に見えてきてしまう。アメリカのホームドラマによくある、勤務先のデスクに貼られた家族写真のように、かりそめの幸せを周囲にアピールできる格好の道具として。
たとえば長女のナンシーが歌う「It’s Such A Lonely Time Of Year」では、不可解な一節がわたしたちの手を一瞬止める。サンタに扮する父親が子どもたちと戯れるストーリーにあって、「〽︎キミがいない年があった」と、まるで古傷に触れるよう。さもありなん、その“キミ”には心当たりがある。
時計の針を6年前にもどす。1963年12月、全米を震撼させる誘拐事件が朝刊一面に躍った。被害者はほかならぬシナトラの長男。二十歳をむかえる直前だった彼はネバダ州のカジノホテルにて、トーキー時代の先駆けだった俳優兼歌手のジョージ・ジェッセルの前座として出演。その滞在中、複数の人物によって拉致されてしまう。それも首謀者に、ある青年実業家が浮上することで、さらなる混迷を呼んだ。その名はバリー・キーナン。ロスの証券会社の最年少会員としての実績があったが、自動車事故を境に人生の歯車が狂いだし、精神疾患も抱えていた。身代金目当てとされていた犯行理由もなぞで、シナトラの提示額よりも大幅に低い額を要求。発生から2日後に長男は解放されたが、バリーに罪の意識はなく、むしろシナトラ家の絆を深める“愛のブローカー”であると主張するのだからよくわからない。
いずれせによ事件後のシナトラが、毎年残り一枚となったカレンダーを笑顔でめくることはなかっただろう。繁忙期である12月は自身の誕生月でもあった。それも事件の年は、長男が解放された2日後(12日)にその日をむかえている。
シナトラは深く傷つき、自身の幼少期まで振り返ったにちがいない。そして気づく、父との思い出がじぶんにもなかったことに。おりから世界恐慌の只中、消防局員だった彼の父も、家族と触れ合う時間に恵まれなかった。
その父が他界した年にアルバムが生まれた。家族4人で歌う冒頭の「I Wouldn’t Trade Christmas」では、執念ともいえるクリスマスへの想いがつづられるーー「〽︎一年の行事でクリスマスほど愛するものはない クリスマスを手放すことなど絶対ない」。多くのファンはこれを、惜しみない信仰心であると感動するだろう。だが、実情はどうやらちがった。それ(事件)が愛の神託になることも予想できなかったわけだが。

RON UNDERWOOD
『Stealing Sinatra』
(DVD)
シナトラの他界(1998年)後、事件をTVドラマ化した『Stealing Sinatra』(ロン・アンダーウッド監督)が2003年に放送。同様の映画『Operation Blue Eyes』も予定されている。家族名義作はオリジナルを中心に構成、音楽面でも力作に。唯一の定番「サンタが街にやってくる」を歌う次女ティナはすでに裏方として活動。歌手を断念したのも周囲の重圧が一因だった。長男は2016年に逝去。バリーは2022年に自尽している。
Profile
若杉実/わかすぎ みのる:足利出身の文筆家。 CD、DVD企画も手がける。 RADIO-i (愛知国際放送)、 Shibuya-FMなどラジオのパーソナリティも担当していた。 著書に『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』 『裏ブルーノート』 『裏口音学』 『ダンスの時代』 『Jダンス』など。ご意見メールはwakasugiminoru@hotmail.com
