
『Promise In Tokyo~Nakano Sunplaza,
Tokyo, Japan 11th May 1986』
(Wardour)
約束の地
資材費の高騰を理由に施工会社との契約が白紙となった中野サンプラザの再築。これを英断とするなら足利市民会館にも見習ってほしかった。街のデザインを考えたとき、武家時代の古跡だけが残され、以降の名建築は壊され、渋谷交差点の撮影セットが保存されていることに疑問をもつ市民はいないのだろうか。
それはともかく、中野サンプラザとシャーデーというミスマッチな組み合わせもそうはない。サンプラザと中野ブロードウェイをとったらなにも残らない彼の地に、カルトな人気を誇る英国の歌姫が降臨していたという事実に静かな興奮をおぼえる。
1986年5月、セカンドアルバム『Promise』のリリース記念による再来日。『Promise In Tokyo』はその実録だが、当時放送されたFMの特番で、マスターがどこかで流出しCD化されたらしい。いわゆる海賊盤のため紹介は御法度だが、昨年アナログにもなりスルーするのも惜しい。
その理由を、目からウロコのセットリストにみる。とりわけウィリアム・ディヴォーンの「Be Thankful For What You Got」(1974年)とティミー・トーマスの「Why Can’t We Live Together」(1972年)各々のカバー、つまり一夜にして2曲がうたわれたこと。この意味を理解できるひとは相応の目利きとみていい。シティポップからアンビエントまで、都市型音楽の重要因子、メロウ(ソウル)の原点といってはばからない。
ステージは前半をデビュー作『Diamond Life』(1984年)、後半をセカンドに分け構成されている。「Why Can’t We …」はファーストに収録されているが、「Be Thankful…」はいまなおシャーデーの意思で録音した記録はない。ただしポイントはそのふたつが並び、答え合わせのような意味合いが生じること。双幅となった瞬間、彼女の生い立ちが千のことばを語り出す。
「Be Thankful…」はこのあとマッシヴ・アタックがファーストでカバーし、原曲探しが世界中にひろまった。つまり彼らの環境下で「Be Thankful…」は古典中の古典、いわゆるレアグルーヴとしての歴史があったのである。
マッシヴをはじめファットボーイ・スリムのようなアーティストは日本に輸入されたとたんUKロックに押し込まれがちだが、彼らがティーンエイジャー時代、その多くが黒人音楽を愛してやまないソウルボーイと呼ばれていた事実を知ってほしい。ブルースがなければビートルズはこの世にいない、そういうことである。
マッシヴの前身であるザ・ワイルド・バンチのネリー・フーパーも、それ以前にオルタナ系のマキシマム・ジョイに所属していたが、そこでは「Why Can’t We …」をカバーしていた。(原曲では)せつないオルガンが祈り火のように時をつなぎ反戦を唱える。「Be Thankful…」も自制を促す詞が福音のよう。オブラートにくるまれたメロウの耳ざわりだけで品評してしまうわたしたちと異なり、彼らは歌の本質を吟味し聖歌のようにあつかってきた。「苦い経験も歌になった瞬間ポジティヴに生まれ変わるわ」(シャーデー)。その正義をもって恍惚と呼ぶなら、メロウの正体がそれだろう。古典への敬意とともに未来を灯すアンモナイトの輝き。建物もそうであってほしい。

WILLIAM DeVAUGHN
『Be Thankful For What You Got』
(Roxbury)
公務員でもあったディヴォーン(US)が1974年に発表したデビューアルバム。表題曲はソウルチャートで首位に。“知られざる…”というレアグルーヴ神話がくずれるようだが、ノーザンソウルよろしく英国流の溺愛ぶりに彼の地の特殊な文化構造がある。なおシャーデーのライヴは時差ボケを理由に開演が遅れたが(実情は直前にケガをした伴奏者の代役調整?)、『Promise In Tokyo』にも彼女の詫びる声が入っているーー「もうしません、“約束”します」。
Profile
若杉実/わかすぎ みのる:足利出身の文筆家。 CD、DVD企画も手がける。 RADIO-i (愛知国際放送)、 Shibuya-FMなどラジオのパーソナリティも担当していた。 著書に『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』 『裏ブルーノート』 『裏口音学』 『ダンスの時代』 『Jダンス』など。ご意見メールはwakasugiminoru@hotmail.com