
「ルーズソックス」(from『Timeless Affair』)
(What’s New)
ジャズとルーズソックスと…
茶髪、顔黒、援交、プリクラ、テレクラ、ブルセラ……家田荘子の著の世界とおなじ空気を吸っていながら、一ミリたりとも接点がなかった渋谷センター街にたむろしていた90年代の女子高生。その象徴物だったルーズソックスが令和のいまリバイバルしているというネットニュースをクリックしてしまったがゆえにみつけてしまったジャズとの禁断の関係におどろきを禁じ得ない。
その名も「ルーズソックス」(2002年)という曲を演奏していたアルトサックスの石崎忍。俳優の石崎二郎と声楽家・竹村靖子のあいだに生まれたというから謎は深い。
曲はラップを部分的にかましたジャズファンク。ミドルスクールのジャズラップを踏襲したことに深い意図はないのだろうが、軸足のジャズは弛まず、ルーズソックスとの不即不離の関係が築かれ、渋谷の一風景と達観するのが読みとれる。女子高生を客体化させジャズにおける異化効果を引き出したといえばよいか。
考えすぎかもしれないが、石崎の経歴上、自然に対応できる環境にあったのかもしれない。90年代の初頭にバークリーへ留学、中盤にニューヨークへ移住、2014年にニューヨークへ再移住。断続的であるゆえ、ルーズソックス全盛期の空気を実感として所持していない。
ただし、希薄だからこそ妄想に資するならこの推理は成立しないが、心あたりはある。毎日みせられ刷り込まされたルーズソックスは、性の対象になるようなものではないということ。幾重にも重なる白妙の層にうっすら滲む黒ずみ。雨ともなれば重力に逆らえない木綿が泥よけ代わりになる。脱いで絞ればコップ一杯分の濁り水が採集できるにちがいない。
それがいいというフェチがいても、それを材に作曲することにも一定の理解はできる。即興を至上の創作とするジャズの辞書に完全という文字はないのだから。「おおいなる完成は欠けているようにみえる」ーー老子の句をまえに「ルーズソックス」ほど真価をみせる曲はないだろう。ただし、あの奇作をのぞいて。
その奇作に触れる際、きわめて慎重にあつかわなければならない。石崎とおなじサックス(ただしテナー)吹きのデクスター・ゴードン(US)が70年代、滞在先のコペンハーゲンにて劇伴を担当、出演までした『Pornografi – En Musical』(1971年)というポルノ映画。それもハードコアというオマケまでつく酒池肉林にハードバップで絡んでいる。カラミこそしていないが、演奏模様を、リアルのカラミのあいだに挟んだりオーバーラップさせたりと、あらぬ演出にみえなくもない。背景を探るにも限界があるが、事実を知ったところで謎は深まるだけだろう。映像はそれほど衝撃的で、あらゆることばを無力にする。
ゴードンはこのあと、実在のジャズメンがモデルの『Round Midnight』(1986年)に役者として主演、アカデミー賞にノミネートまでされた。前作つまり『Pornografi』での経験が生かさているはずはないが、あるとするなら銀幕デビューへの意欲をかき立てたことだろう。そして、どんな演出でもプレイに集中し無言をつらぬくこと。3度め(?)の役者となった『レナードの朝』(1990年)では主演のロバート・デ・ニーロに対し、セリフのない入院患者のピアニスト役で挑んでいる。

OLE EGE
『Pornografi – En Musical』
(DVD)
革命とはなにか。本監督オーレ・エゲいわく「エロスと音楽の斬新な蜜月だ」。ゴードンとともに参与するのは当時の鉄壁ケニー・ドリューのピアノトリオ。身過ぎのためか、魔が差しただけか。情報がなく出演理由は謎。墓場(1990年他界)までもっていく物件だったのだろうが、このようにDVD化され、動画で残る未来までは想定できなかったにちがいない。最初に発見した日の夜、わたしもうなされた。画像・動画検索はくれぐれも自己責任で。
Profile
若杉実/わかすぎ みのる:足利出身の文筆家。 CD、DVD企画も手がける。 RADIO-i (愛知国際放送)、 Shibuya-FMなどラジオのパーソナリティも担当していた。 著書に『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』 『裏ブルーノート』 『裏口音学』 『ダンスの時代』 『Jダンス』など。ご意見メールはwakasugiminoru@hotmail.com