若杉実の裏口音学 Vol.139

EMANON
『The Baby Beat Box』
(Pow Wow)
目次

無名は有名に勝る

 中村和男氏が昨年12月に永眠された。栃木市民なら知らぬ者はいない。同市の老人ホーム代表であり、児童傘からパトカー、白バイまで、生前に寄贈された数々は新聞でも報じられた。
 ただし、あしながおじさん的な奉仕でさえ、世界の視野ではかすんで見える。都内の医薬関連企業の会長も務めるかたわら、2007年には世界唯一のキース・ヘリングの美術館を故郷の山梨にオープン。自身のコレクションを多数展示し、観覧者の目を輝かせてきたのだから。
 その美術館が主催するヘリングの写真展が、下北沢のカフェにて開催されている。3度めの来日(1988年)で披露された路上パフォーマンスの様子を写真家が記録していた。期間中にヘリングの命日(1990年2月16日)がやってくるが、はからずも中村氏への追悼の機会にもなるだろう。
 美術館には足を運んだことがないが、かつてヘリングの絵を観たいときには外苑前駅で降り、キラー通りに向かって数分歩くといつでも望みが叶った。通り沿いの建物が、例のヘビが這うような線で埋めつくされていたのである。2018年に解体されたが、ON SUNDAYSの旧店舗で、そのオーナーが営む現ワタリウム美術館で開催されたヘリングの個展で初来日(1983年)した際、描かれたものだった。
 ゲリラ的に落書きしていったのだろうと、当時は胸をふくらませながらニューヨークの雑踏をイメージしたものだが、その作品性から、生まれ育った路上のほうが熱や呼吸を体感しやすい。中村氏の功績とはべつに、サザビーズで手に届かないものになってしまうのは、どうにもやるせないではないか。バンクシーの絵が落札と同時に内蔵されていたシュレッダーで裁断された事件も、過熱する競売への彼流の警告だった。
 ヘリングの時代はグラフィティ系がまだ揺籃期で、匿名性を重んじるバンクシーとは異なり、アーティストが積極的に露出する必要があった。無名時代がなかったのもそのような理由だろうが、ヘリングにだって“お友だち価格”で受けた仕事はそれなりにあるはず。
 そのひとつとおぼしきエマノンの『The Baby Beat Box』(1986年)は唯一所持するヘリング作品だが、このようなものでさえ現在5桁の相場価格で取り引きされているのだから、あきれるようなうれしいような。アートジャケットと呼ばれ注目される昨今、ようするに中身は二の次という代物である。
 80年代のオールドスクールが低評価に甘んじているのは事実だが、中期のハードコア系など俎上にさえ載らない。大枚を叩くコレクターも、針なんか落としていないだろう。しかし我が青春であるこの時代こそヒップホップ黄金期。その数多あるなかの一枚が本作だった。
 “EMANON”(No Nameの倒語)と自称しているくらいだから正体は明かされていないが、外題にもあるようにヒューマンビートボックスの第一人者のひとりダグ・E. フレッシュの門弟だったという。プロデュースは「The Beach」を同年にヒットさせたTHE ZULU KINGSのアフリカ・イスラム。東西をまたいで活動していた彼(ら)だが、その西の顔役ことアイス-Tを発掘したラルフ・クーパーJr.も参加。ラルフの父は俳優で、アポロ・シアターのアマチュアナイトの発起人・司会者としても知られる。
 本作を唯一のアルバムとして残したエマノンは一発屋にもなれなかったが、ヘリングのおかげで世界一有名な無名になったようだ。

V.A.
『We Love You… So Love Us』
(We Love You)
バンクシー・ジャケの代表作は英トリップホップ系Wall Of Sound傘下のショーケース・コンピ(2001年)。マンチェのI AM KLOOT、ショーン・リー他収録。絵はパレスチナの抵抗運動がモチーフの「Flower Bomber」。その初期作だからか、取引額は現在6桁。“着る音楽”ことバンドTシャツの高騰ぶりも同様、“観る音楽”の行く末に一抹の不安をおぼえるのは……老婆心なのだろう。日本人作家では奈良美智、村上隆、草間彌生などが資産と化している。

Profile
若杉実/わかすぎ みのる:足利出身の文筆家。 CD、DVD企画も手がける。 RADIO-i (愛知国際放送)、 Shibuya-FMなどラジオのパーソナリティも担当していた。 著書に『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』 『裏ブルーノート』 『裏口音学』 『ダンスの時代』 『Jダンス』など。ご意見メールはwakasugiminoru@hotmail.com

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