足利文庫の位置確認・第2次整備に伴う発掘調査で・史跡足利学校

 足利市教育委員会が同市昌平町の史跡足利学校第2次保存整備事業に伴う発掘調査で1882年(明治15年)ごろ書籍の収蔵庫として建てられた「足利文庫」の建築当初の建物基礎が確認された。同文庫の位置は現存する絵図面などでおおむね、分かっていたが、はっきりとしたかたちで確認できたのは今回が初めてとなる。
 発掘を担当する文化課によれば「足利文庫」は江戸時代から明治時代まで孔子廟東側にあった「御文庫(おぶんこ)」の機能を引き継いだ書籍の収蔵庫。足利学校は1872年に廃校となり「御文庫」に所蔵されていた書籍も校外に持ち出された。その後、76年に足利町民の願いで返還され、町民有志が奔走し、募金を呼びかけ建てられたのが足利文庫。
 桁行3・64㍍、梁間4・55㍍の土蔵づくり。1915年(大正4年)と37年(昭和12年)の2度、曳家され、今も敷地内に建ち、書庫などとして利用している。
 今回の発掘調査は遺構の有無を確認するため4月から行われ、東西3㍍以上、南北約5・5㍍の建物の布掘基礎が確認され、幅80㌢、深さ30㌢ほどの掘り方に10~30㌢大の玉石が敷き詰められていることで建物の規模と合致することから同文庫の基礎跡として考えられるとしており、「足利学校廃校後の書籍収蔵庫の変遷があきらかになったことは今後の整備や学校の魅力アップにもつながる成果」と担当課ではまとめている。今後、同所に解説板なども設置していきたい考えだ。
 また、1802~72年まで使われていた御文庫の遺構の確認調査も進められており、その成果も注目されている。

明治期に建てられ今も利用されている足利文庫
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