造形作家小林桃子さん、水性木版作家日永つづさん | インタビュー

先日取材をした「おさなななじみ展」はどんなきっかけから生まれた展示だったのでしょうか?
大学を卒業したばかりの二人が、初めて自分たちの作品を並べる展示を開く――そんな決断に至るまでには、どんな思いがあったのかを伺いました。

小林桃子:今年大学を卒業したのですが、作家としてなにか進めていきたいなって思っていて、大学では彫刻を専門で学んでいたのですが、卒業制作のテーマとして部屋そのものを展示空間とした作品を軸にやっていきたいと思っているので、やはり展示ありきなのです。
御厨公民館でできるかもしれないって考えて、幼なじみの日永つづさんに声をかけて実現しました。

日永つづ:私は木版画をやっているのですが、展示しなくても作品は見れるので、展示をしたりとか空間を作るのが苦手だったんです。なので小林さんの作品と組み合わせれば何かあるんじゃないかなって思いました。
作って自分で満足しちゃうことが多くて、展示までいくことがなかったので、今回の展示はお互いにとっていい機会でした。

風こそ違えど、二人の作品にはどこか共通した“空気”を感じます。
実際に展示をしてみて、お互いの作品の中に通じ合うものを感じたのか、その印象を聞きました。

小林桃子:作風がどうとか関係なく誘ったのですが、日永さんの作品自体、自然のものとか自然光とか癒やされるものが作品として現れているので、私の作品と調和していたのがよかったです。

日永つづ:私の作品は人が介入できる余白があるのですが、それが良かったなって思います。

幼い頃からの付き合いということで、近所の友達として遊んでいた二人が、結果的に同じ“アートの道”に進んだというのも印象的です。
お互いにどんなきっかけでこの道を志すようになったのでしょうか?

小林桃子:家が本当に隣同士で、幼稚園生の頃から家の塀をよじ登って遊びに行ったりしてて、その頃からお互い絵はそれぞれ描いていて。
小学生の頃に書いた20歳の自分に向けた手紙に「美大に行ってますか?」って書いてあって、絵を描いていきたい一心で美大以外の進路は考えていなかったですね。

日永つづ:お互い中学が別になって、私は美術系の高校に行ったのですが、姉と妹も美大や美術の専門学校に行くので、もうそれしか選択肢になかったですね。

そんな二人が大学に進学したのは、まさにコロナ禍の真っ只中でした。
制限の多い学生生活のなかで、どんな時間を過ごしていましたか?

小林桃子:私たちが大学に入学するのが2020年だったんですけど、ちょうどその頃コロナ禍で入学式は延期、授業も1年生の半分以上リモートで。
長岡の大学で、本来ならアパートを借りてそこに住みながら大学に通う生活だったのですが、2020年前期はずっと足利にいて、足利で授業を受けていました。
本当に大学生なの?って思いながら過ごしてました。本当に大変でした。

日永つづ:大学も対応を考えあぐねてるというのか、入学式も延期延期で、いつ始まるんだろうみたいな感じでした。
なので1年生の滑り出しはほぼ“無”でした。
授業を受けながら各自絵を描いてって形だったのですが、本来周りに同じように描いてる人がいて影響し合いながら触発されていくと思うのですが、何もなく家で戦ってるって感じでした。

そこからそれぞれの表現を模索する中で、木版画や彫刻というそれぞれ異なる表現方法に行き着いたわけですが、
実際にその道を選んでみて感じたことや、制作における発見はありましたか?

小林桃子:2年生までは絵画に行こうかなって考えてたのですけど、授業の雰囲気とか、絵を描いてる時の自分の感覚が少し違うなって思えて。他の人より上手く描こうとか、あまり楽しくない感じになってしまって。
その後3年生になり専攻を選ぶのですが、彫刻の授業の演習で1本大きいブロックの木から自由に作ったのですが、それが純粋に楽しめて。
 元々予備校時代に自分の好きな表現をアピールする場があるんですけど、私はアニメの背景画とか風景の絵が好きで、そういったものを描いていたり、空間とか世界観を表現することがやりたいんだなって気づいて。
それで彫刻は立体的な表現ができたり、それこそ大学の施設を使って頭が割れるくらいうるさい中でやってることで大学にいる実感が持てたのが良かったです。
 彫刻専攻の雰囲気もすごく良くて、木がいっぱいあるし匂いとかも感じられて、結果的に心地良い居場所でした。

小林さんの作品

日永つづ:2年生の前期にいろいろ経験して、そこで版画にたどり着くのですが、その頃住んでいた部屋の窓が全部すりガラスみたいなものだったんですけど、自然が好きなのに外が見えなくなってしまうのが気に入っていなくて。
大学生活もあまり順調ではなく授業も休みがちになってた頃、その嫌いだったガラスがカーテン越しにキラキラ虹色に光ってたのがすごく綺麗で、「最悪だと思ってたこの場所にまさかこんな綺麗なものがあるなんて」って気づいて。
その頃って自分が何を作りたいとか迷ってたんですけど、「これしかない!」って思って、自分の頭であれこれこねくり回すよりも自然のものに惹かれてる自分がいることを自覚して、自然を模倣することで私は美しさに気づけるのかって思いました。
版画だと掘ったところにインクが乗らなくて白く抜けるんです。それが光の表現がしやすいんですよね。
水のきらめきとか反射とかを感じられて、自分で光を作ってるっていう感覚になれます。
それで木版画を選ぶのですけど、大学の木版画をやる場所のまとまり感が学校のクラスみたいな感じで、他はいろんなところで自由に制作をしているのですが、コロナ禍真っ只中だったこともあって、教授や木版画の部屋の雰囲気に惹かれて選びました。

作品制作において、インスピレーションやモチーフの源になる“日常の中のきらめき”をどう捉えているのでしょうか。
二人の作品には「光」や「癒し」といった共通のテーマが感じられます。

小林桃子:私も似ているところがあって、自分が感動したものを他の人にも同じような感動を伝えたり、自分が癒やされたと感じたものは多分誰かの癒やしにもなるかもしれないと、自分の感覚を作品にしています。
桜の儚い美しさをどう表現したいって考えた時に、枝垂れ桜をくぐった時のその空間がすごく良いって思って、絶えず動いて常に形を変えるその刹那的なものを見上げられるようにモビールで表現しました。
見たものをどう表現するかを試行錯誤しています。
 学生の時にやなせたかしさんの「ボクと、正義と、アンパンマン」を読んだんですけど、「私が喜んでることって他の誰かも喜んでいて、それは独りよがりじゃなくて、自分の喜びが他の誰かに連鎖することが少なからずあるな」って解釈して。
そこから自分が喜ぶことをメモとして保管して作品につなげて、またその喜びを他の人につなげられたらいいなって思います。

日永つづ:私は完全に光です。大学の芝生の場所にレジャーシート敷いて寝っ転がると空がでかいんです。当たり前なんですけど。
でもなんかそれが自分のものになってほしいって思うのですが、自然ってただの自然で、綺麗だって思う瞬間があっても自分が気づいただけで自分のものにはならないし、一瞬でなくなってしまうんですよね。
でもそれを作品にすることで自分のものになったかのように感じられるので、ふとした時に空を見たり、水やガラスの反射を見たりして、「今だ!」って時に写真に残したり絵で描いたり、その時の感情とかをメモして、題材探しは日常のすべてですね。
 私が綺麗だと感じたものはきっと誰かも綺麗だなと思ってくれて、自然はその瞬間にしかないから見逃してしまうけど、私の作品でそこにあったことに気づいてくれたら、その瞬間が永遠になるかもしれないって願っています。

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この記事を書いた人

minimuのカメラマンです。
栃木県南あたりで写真と動画を撮影しています。
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