美術家・秋山佳奈子インタビュー | 足利の地でアートを紡ぐ 大久保分校スタートアップミュージアムとその原点

足利の田園に佇む「大久保分校スタートアップミュージアム」。
かつての小学校の校舎をリノベーションし、いまでは作家や地域の人々が集い、創造が生まれる場所となっている。
その立ち上げの中心にいるのが、美術家の秋山佳奈子さんだ。
足利に拠点を構えるまでの道のり、作品づくりに込める想い、そして地域とともに歩むこれからについて話を伺った。

まずは、大久保分校が今年で4年目を迎えるということで、足利の地へ辿り着いた経緯を改めて教えてください。

 出身は小山市で、現在は足利に住んでいます。大久保分校を始める前に地域おこし協力隊として足利に移住してきました。
最初は空き店舗を活用した「アシカガアートクロス」に参加していて、そのときに場所をお借りした相洲楼さんから「空いている建物をアトリエに使っていいよ」と声をかけていただいたんです。
私の制作している銅版画は大型のプレス機を使うため、広い作業スペースが必要で、少しリノベーションして使わせてもらっていました。

 2階が空いていたこともあり、アトリエを持たない作家さんに貸したり、「アシカガアートクロス」で長期滞在する方に使ってもらったりしていました。
たとえば、都内在住の日本画家・中根航輔さんは、半年ほどかけて大きな作品を制作されるのですが、都内でアトリエを構えるより地方に通って描いたほうが作業しやすいということで、2年に一度くらい利用していました。
また、同じくアシカガアートクロスに出展している速水一樹さんも「作品を置く場所がない」と相談されて、私のアトリエで保管して、たまに製作もしていました。

 そんなふうに始まったアトリエでしたが、気づけば4人ほど集まるともう手狭になっていて、「やっぱり、作家が集まって活動できる場所って需要があるんだな」と感じました。
ちょうどその頃、「おもいつむぎ財団」さんもコレクションを展示できる場所を探していて、意気投合して一緒に始めたのが大久保分校スタートアップミュージアムです。

足利に移住される前はどのような活動をされていたのでしょうか。

 大学入学から大学院を出て、そのまま大学で助手をしていたので10年ほど東京にいました。先生に付いて北海道などの過疎地へワークショップに行くと、やはり文化の格差を強く感じました。
教員も足りず、美術の先生ではない方が図工を教えているような状況もあって、「この環境は大変だな」と思ったんです。
そんな中で「自分の地元に戻って何かできないかな」と考えていたときに、大田原市の地域おこし協力隊から声をかけていただき、そちらで3年間活動しました。
ちょうどその任期が終わるタイミングで、足利市からもお話をいただいて、今度は足利にやってきました。

 県北と違って足利は街がコンパクトで、画材を手に入れるのも便利になりました。
以前は車でかなり移動しないといけなかったので、制作環境としてはずいぶん良くなりましたね。
また、都内や海外で展示を行うこともあるので、「東京までの距離感」を考えると足利を拠点にしたほうが暮らしやすいと感じています。
今はもうなくなってしまいましたが、昔は成田空港行きのバスもあって、海外の仕事に行くのも本当に楽でした。

アートに興味を持つようになったのは、いつ頃だったのでしょうか。

 もともと何か作ったり表現することが好きで、高校生の頃はずっとバンドでドラムをやっていました。
最初はビジュアル系のバンドでしたが、ドラムを叩ける人が少なくて、いろんなバンドに頼まれて演奏していました。とにかく「叩ける場所があればやる」という感じでしたね。

 大学でも何か表現できることがしたいと思い、多摩美術大学に入りました。
在学中に草間彌生さんの自伝を読んで、その生き方に衝撃を受けました。「超ロックじゃん!」って。
ベトナム戦争時代に反戦パフォーマンスなどを精力的に行っていて、弱い立場の人に向けて発信している姿勢にとても感動したんです。
それがきっかけで、油絵専攻の友人たちとパフォーマンスをやるようになりました。
大学3年の頃には集団でのパフォーマンスをしながら、同時に版画にも没頭しました。
今まではチームで世界観をつくっていましたが、もう一度ひとりで黙々と取り組んでみたいと思い、そのまま大学院へ進学しました。
ちょうどその頃から外のギャラリーで発表を始めました。

mygarden

作品づくりの着想は、どのようなところから生まれるのでしょうか。

 日常の中で「これなんだろう?」と感じたことや、調べたことをきっかけに作品をつくることが多いです。
たとえば、アシカガアートクロスで長林寺さんに展示したときは、お寺の庭を散策して気になったものを住職にいろいろ伺い、それを作品にしました。
 また、中之条ビエンナーレで林朝子さんとコラボレーションした際には、“吊し雛”をモチーフに展示を行いました。
吊し雛は大田原にいた頃に初めて知ったのですが、中之条にも同じ風習があると知って、それをテーマにしたんです。

 長年制作している“バニーガール”の作品もそうです。
一般的なバニーガールは耳だけをつけていますが、私の作品では本物のウサギがくっついています。
セクシーで可愛い印象のあるイメージに“本物”を加えることで、グロテスクな印象へと変わる。
そうした女性像やグラビアへの批判的視点も込めています。

中之条ビエンナーレで展示した吊し雛
バニーガール

作品づくりにおいて、影響を受けたアーティストや体験はありますか。

 学生の頃に1週間ほどニューヨークを訪れて、現代アートの美術館を中心に巡りました。
日本ではあまり見られない表現が多く、とても刺激を受けましたね。
20代後半からは海外のアーティスト・イン・レジデンスに滞在する機会が増え、日本にいた頃よりも視野が広がったように感じました。

その後はイベントの企画や運営など、プロデュース側にも関わるようになりますね。

 2009年、大学院2年生のときに中之条ビエンナーレに出展しました。
イベントで人が集まることで街全体が盛り上がり、食べ物を売っていたり、子どもがカブトムシを売っていたり。
それを見て「アートイベントで地域が元気になるんだ」と感じ、そういう活動に関わりたいと思うようになりました。
実際にやってみると大変なことも多いですが、大久保分校を利用していた卒業生が草刈りに来てくれたり、地域の方から御朱印や大絵馬の制作を頼まれたりするようになって、信頼関係ができてきたのが嬉しいです。
 現在は4年目を迎え、新聞やテレビの取材のほか、文科省での事例発表、副知事の見学、足利市内の公民館での講演など、活動の幅も広がっています。

今後、取り組んでいきたいテーマや構想はありますか。

 以前から考えているのが、戦争をテーマにした作品です。
私の大叔父が2人とも戦没者で、ひとりはインパール、もうひとりは南シナに行っていました。
そのこともあって、戦争に関する作品を残しておきたいと思っています。

 2015年頃、中国の深センにある版画工房付きのアーティスト・イン・レジデンスに2ヶ月ほど滞在したのですが、石造りの重要文化財の建物で、壁にたくさんの穴が空いていました。
何かと思っていたら「ここで戦争があり、銃弾の跡なんです」と教えられて。
当時はあまり深く考えなかったのですが、後から叔父の位牌と墓標を見たら旧字体で“深セン”と書いてあったんです。
もしかしたら叔父がいた場所に自分もいたのかもしれない、と気づいて。
どういう形になるかはまだ分かりませんが、いつかそれを作品として表したいと思っています。

Profile
秋山 佳奈子(あきやま かなこ)
美術家/版画家

1986年、栃木県生まれ。
2010年、多摩美術大学大学院博士前期課程絵画専攻版画研究領域修了。
銅版画を中心に、インスタレーションやパフォーマンスなど多様な手法で制作を行う。
日常の中にある違和感や社会的テーマをモチーフに、繊細な線と構成で人間の存在や記憶を問いかける作品を発表。
近年は足利市を拠点に活動し、廃校を活用した「大久保分校スタートアップミュージアム」の運営や地域アートプロジェクトにも携わっている。

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この記事を書いた人

minimuのカメラマンです。
栃木県南あたりで写真と動画を撮影しています。
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