宿命
知られたくない過去はだれにでもある。その過去を知りすぎる他人もいる。ピアニストの和賀英良がその記憶と里親を消すことは、彼のなかでは正当化されるものだった……
中居正広が会見も開かず消えるように芸能界を去った。一報を受け、20年まえのTVドラマ主演作『砂の器』があたまをよぎる。もしや、これは置き手紙なのではないか、と。
中居は主役の和賀(設定28歳)を当時32歳で演じている。SMAPのメンバーがおしなべてドラマ主演をしていた時期。それでもさすがにどうなのか? 疑念の声もあるなか、みごとな快演で外野のノイズを一蹴した。今回の引き金となった女性問題がそれでどうにかなるわけではないが、このときの演技力が評価されているだけに、引退を惜しむ声がまれにあったとしてもおかしくはない。
中居個人はともかく、物語そのものに興をさかす。やはりというしかないが、最初の映画版(1974年/昨年公開50周年)が非の打ちどころがない。以降のリメイクすべての原点となった金字塔にわたしなりの解説などおそれ多いが、松本清張(原作)をして「原作を超えた」といわしめた脚本のチカラにつきるのだろう。役者魂を覚醒させるとはこのこと。中居の演技にも資したのはまちがいない。
脚本は橋本忍が手がけ、原作の一部は大幅に翻案された。たとえば和賀がまだ幼いとき、ハンセン病の実父と全国を放浪する場面。原作では数行ほどにとどまるものだが、映画では中軸に置き直しヒューマニズムを経由させることで、安易なサンスペンスを回避している。
映像美を湛える自然のあつかいも秀逸。四季折々の風情が、たくましくもせつない父子の機微をうがちながら、希望と失望をかき立てる。ただし過剰な演出はない。緻密な筋書きと切りつめた編集で、後半部はセリフすら取り去られた。カメラはそのままコンサートホールに移動し、成人となった和賀をピアノごとかすめると終局へといっきに駆け込み、結末を告げる交響楽が張りつめた会場を席巻する。曲名は「宿命」。
作者の菅野光亮は現代音楽とジャズの両刀で活動してきたピアニスト。和賀の役柄も電子音楽に精通するなど(殺害に超音波を使用)暗示的だが、実演の吹き替えも菅野があたった。和賀の生き写しとまではいわないが、菅野なくして橋本の脚本も十分な働きをみせなかっただろう。現音マナーの精緻なコンポーズは伏流水となって、サスペンスとヒューマニズムを同時に動かす。古典とジャズが、菅野のなかでは地続きだったように。
橋本は脚本を書き上げた際、戦友の黒澤明にみせたものの、映画化するには煩雑すぎるとダメ出しされている。有名な話だが、それでも撮影カメラが止まることはなかった。橋本やスタッフの目線は登場人物のそれであり、すでに物語の中にいる。育ての親をなぜ殺したのか。和賀の動機、不可解な点があぶり出す業の深さ、人間の本質に、ことばでは整理できない真理を読みとったからにちがいない。
二面性どころかいくつもの顔をもつのがあたりまえの人間に、表も裏もない。あるのはヌエのような社会の闇であり、わたしたちは気を緩めた瞬間、それに足をすくわれる。ひとりの芸能人の引退は不幸なことに、知らずにすんだかもしれない闇を知る機会(宿命)となった。

『砂の器』
(Polydor)

BLACK RAIN
菅野光亮
『詩仙堂の秋』
(RCA)
京都の寺院を主題に歴史探訪のごとく曲想を敷衍する菅野の独壇場となったデビューアルバム(1973年)。前衛と古典が激しく拮抗、ときに艶かしく調和しながら中期コルトレーンの世界に肉薄。和ジャズ・ブームで近年世界的にも評価が高い。『砂の器』が翌年だったこともあり、以降は劇伴を中心に活躍。『雲霧仁左衛門』『魔界転生』『真夜中の招待状』、そして遺作『天城越え』の1983年に44歳で夭逝している。
Profile
若杉実/わかすぎ みのる:足利出身の文筆家。 CD、DVD企画も手がける。 RADIO-i (愛知国際放送)、 Shibuya-FMなどラジオのパーソナリティも担当していた。 著書に『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』 『裏ブルーノート』 『裏口音学』 『ダンスの時代』 『Jダンス』など。ご意見メールはwakasugiminoru@hotmail.com