この連載「Makers of Melody」では、栃木県近郊で活動するシンガーソングライターを紹介します。
どのような瞬間に曲が生まれ、どんな想いを込めて歌っているのか。その創作の背景と人となりに迫ります。
「soymusic band」と「チョコボール」、ふたつのバンドで活動しながら、ソロでも弾き語りを続けるオーシママサヒロ。
YouTubeにアップする動画をきっかけに曲が広まり、仲間と音を重ねていく。
音楽との出会いから現在の活動スタイルまで、彼の歩みを聞いた。
最近は個人よりバンドでの活動が多い印象です。
オーシママサヒロ:最近はバンドの活動が多いかな?
主にどんなバンドをやってますか?
オーシママサヒロ:soymusic band とチョコボールです。どちらも自分の曲でやってます。
どっちも自分の曲でやるとなると棲み分けは?
オーシママサヒロ:明確にどっちがどうとか決めていなくて、演奏する人が変わると曲の表現も変わるから
それが面白いなって思って、特にこだわってないですね。
ただsoymusic bandではギターを弾いてないです。楽器を弾かないで歌いたいっていう願望があって。
バンドを組むようになって曲に影響はありますか?
オーシママサヒロ:毎回一人で歌う用には作ってるんだけど、最近はちょっとそういうのを意識してるのかもしれない。
でも「曲作ったんで聴いてください!」ってメンバーに聴かせるのは恥ずかしくて。
バンドメンバーはどうやって曲を知るんですか?
オーシママサヒロ:曲が出来たらすぐYoutubeに弾き語りの動画をすぐアップしちゃうんだけど
それを聴いたメンバーから「これバンドでやりましょう!」って感じで。
なるほど!すごく今っぽい感じ。
オーシママサヒロ:それでバンドでやりましょう!ってならない曲もあって、それは結局一人でやる。
だから「この曲はバンドでやりたい」で作ることはあんまりなくて「やるならやるでいいかな?」くらいのイメージで作る事はたまにある。
アコギ一本から始まった音楽の旅

そもそも音楽を始めたきっかけは?
オーシママサヒロ:21歳の時に歌を歌いたいなってアコギを弾き始めたのが最初。
カラオケで歌うのは好きで、いつ頃か伴奏を自分でやって歌いたいなって思い始めて、アコギだったらできそうだなって思って。
そこからちょっとずつ始めましたのかな。
それは何かしらの曲をやりたいって思いがあったから?
オーシママサヒロ:目的がとくにあったわけじゃないんだけど、知り合いの人がギターでEm(イーマイナー)のコードをジャラーンって鳴らした時に「指1本か2本押さえただけなのにそんな音が出るの!?」って。ギターってもっと難しいと思ってたから。
エレキギターとかの速弾きみたいなテクニックが必要なイメージしかなかったんだけど、そんな簡単でコードも3つくらい覚えれば1曲弾けるのを知って「じゃあやってみようかな」って。
そこから弾き語りを覚えたと。
オーシママサヒロ:最初は教本みたいなので何曲か覚えて。家に友達が遊びに来たらひけらかしたりして。
外でやりたいとかは全然考えていなかったかな。
そこから人前で演奏をするようになったきっかけは?
オーシママサヒロ:それからはアコギの音が入ってる曲をよく聴くようになって、自分も弾くから「やっぱりギターの音がいいな」って思うようになったのね。
それでゆずとか聴くようになって、その影響もあって路上ライブをやりたいって思った。
なるほど。当時ブームでしたからね。
オーシママサヒロ:そしたら佐野駅前でも歌ってる人がいて、それから何度か行くようになって。
今みたいに情報とかないから、近くまで行ってやってる人がいたらこっそり聴いたりしていくうちに2人組の若い子が地べたに座ってゆずを歌ってたから勇気を持って話しかけたのさ。「ちょっと聴かせてもらってもいい?」って目の前で聴いてね。
そしたらその当時2人から「路上ライブってのは誰かに許可を取ってるわけじゃなく勝手にやってるんです。」って教えてもらって。
それはいつ頃?
オーシママサヒロ:2000年くらい。
それで佐野駅前で路上ライブデビュー?
オーシママサヒロ:いや、地元じゃちょっと恥ずかしくて小山駅で始めた(笑)
当時の小山駅ってブームだったような。
オーシママサヒロ:いっぱいやってる人はいた。賑わってて「楽しそうだなー!」って。
いっぱ人もいるし自分にも出来るだろうって思って始めたのが最初。
始めてから友達が出来て、人気の曲をやったりすると人が立ち止まったりもして。
オリジナル曲との出会い、オーシママサヒロになるまで。

そこでオリジナル曲を作るきっかけがあった?
オーシママサヒロ:そういうのを1年くらい続けていくうちに「このままでいいのかな?」って思えてきて、人と違う事をやったほうがいいんじゃないかって思うようになって曲を作るようになった。
そこからなんかちょっとずつ聴く人が減って、オリジナル曲をやり始めたら誰も来なくなった(笑)
そこから個人的な活動が始まったわけですね。
オーシママサヒロ:その後路上ライブの場所を茨城県の古河駅に移して毎週金曜日やるようになって。
それ以外にもライブハウスとかにも出るようになって。
今まで足繁く通うようなところは無かったんだけど、足利のリトルバードってお店によく行くようになって。
そこでイベントに出るようになった時にお店のマスターに「名前何にする?」って聞かれて「あ、じゃあカタカナで。」ってなって、オーシママサヒロになった。
伸ばし棒の半角ですよね。
オーシママサヒロ:名前を書いた時に文字数が多くて幅を取ってしまうのが申し訳ないので半角。
最近はあまり気にしてないけど。
創作を続ける原動力

オーシママサヒロ:曲作りは目標を持って作っていて、最初は1ステージ全部自分の曲でやりたいって憧れから。
そうやって作っていくうちにどんどん増えて「1ヶ月に5曲くらい作ろう」とか。
それを2、3年くらい続けて少しずつ自分の曲にも自信がついてきて。
曲を作る時になにかテーマにしている事とかってありますか?
オーシママサヒロ:あまりメッセージとか詰め込まないかな。
あまりイメージを押し付けたくなくて、聴く人の捉え方に任せたいって思ってる。
歌を届けたいという思いではない?
オーシママサヒロ:コードとかメロディとかそっちを作るのが好きで、展開とか「面白い曲だね」って言われるのがすごく嬉しい。
ちょっと複雑そうな事をやってみたりとか。
音を組み立てるのが好きなのですね。
オーシママサヒロ:そうかもしれない。
今後の活動と楽曲コレクション
今後はどんな活動を?
オーシママサヒロ:バンドでイベントに出演したり昭和歌謡を演奏するユニットとかやってるのでそれを続けたりとかもするけど、一人で歌う事も続けていきたい。
YouTubeには昔から動画をアップしていますよね。
オーシママサヒロ:そう、それが結構楽しくて。
誰かに聴かせたいって事ではなくて、アップする事が良いというか、コレクションを集めていく感じがサムネイルが並んでいるのを眺めて楽しい。
歌うのは好きだし、スマホだけで出来るしね。

Profile
オーリママサヒロ / シンガーソングライター
枠にとらわれずソロとバンドの両面で活動するシンガーソングライター。soymusic bandやチョコボールなど複数のバンドで自身の楽曲を演奏しつつ、弾き語りでもマイペースに音楽を届けている。
昭和歌謡のカバーやユニット活動なども並行しながら、長く地元を中心に音楽活動を続ける。
取材協力
Studio S
〒329-4301 栃木県栃木市岩舟町鷲巣54
https://studio-s-music.com/
Youtube
Information
2025年10月25日(土) nipaniparty vol.7 2828 HAPPY HALLOWEEN!

時間:OPEN 12:00/LIVE START 13:00
会場:pomposo(群馬県邑楽郡邑楽町中野3698-3)
お問い合わせ:080-1291-7621
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チケット
プレイヤー(ランチ付)… 3,000円
ゲスト(ランチ付)… 2,000円
立ち見(座席なし)… 500円