歴史あるまち
転勤の関係で、足利に来たが、それまで足利はおろか、栃木県にも、来たことはなかった。ただ、足利という単語から連想するに、おそらく歴史のある町なのだろうということは想像がついていた。
そして、実際にこの地を訪れ、また実際に数年暮らしてみて、いよいよ歴史豊かな場所であることを実感するに至った。鑁阿寺や足利学校は、鎌倉・室町・戦国時代期の史跡であり、それらがまちにあふれていることから、この地へ来る前の自分の予想はおおかた外れてはいなかったのかと思っている。特に、室町幕府を足利氏が治めていたことも考えると、近世期の歴史とこの町は強く関連があるのかと感じていた。
ただ、ここ最近、近世期に限らず、さまざまな時代の歴史にも多くこの地は関わっていることに気づかされることが増えてきている。ひとえに「足利は歴史のある町」と言われているが、その範囲の広さを感じるようになってきた。
足利では、先月、「足利の文化財 特別公開2025」が開催され、普段は公開されない特別な文化財が一般市民に向けて公開された。
これはここ数年、足利市のさまざまなエリアで 毎年開催されているが、今回は、足利市南部エリアに収蔵された、貴重な文化財が一斉に公開された。
南部エリアの開催に合わせて、コラボ企画として、足利南高校では、「あがた駅南遺跡特別展」が開催され、県駅周辺で出土された縄文期・弥生期の文化財が公開されていた。
FM DAMONOとして、足利南高校に伺い、取材も実際にさせていただいたが、その文化財は大変興味深かった。
縄文時代の人がつけていたであろう、耳飾りが足利では出土されており、それらが展示されていたが、その貴重さがゆえに、普段は県が所蔵しており、それを見ることができたのはとても貴重であった。
2000年も前のものが目の前に広がっていること。それにはとてもロマンを感じた。特にここまで古い時期であると、文字の発展がなかった時代。だからこそ、遺骨の耳周辺から出土されたことを受けて、この文化財は耳飾りであると断定されていたが、その、文字情報がないがゆえの推定方法も、歴史を紐解く過程として、とても面白い。
それに、2000年近く前のものが足利で出土されているという事実。それは、この地にはそれほど古くから人間が生活していたということを示すことであり、それほど昔から歴史があるということも大変興味深かった。
自分の地元、北海道は、明治期以降に本格的に開拓が進んだ歴史を持つため、本州全域に分布する、いわゆる日本史跡・遺跡はほとんどない。そのためか、歴史というものに妙に興味を惹かれる節は昔からあった。本州の人からすればあたりまえの風景なのかもしれないが、少し歩いたところに古墳があることなども、自分からするととても惹かれる。
そのため、足利に降り立ち、まちに広がる歴史風情あるまちなみや、まちの真ん中に鑁阿寺があることはとてもすてきに映っている。
ただ、取材を通して、この歴史ある足利に、さらに古くの、それも2000年以上も前から続く歴史があることがとても素晴らしいと感じた。
考えてみれば、足利は、近代期は、織物、繊維業で栄えたという歴史さえある。ひとえに歴史ある町として足利を捉えていたが、改めて、その歴史の幅の広さを認識している。これほどまでに多様な歴史が横たわる地はそれほどないし、今後さらに取材を通して、その魅力をたぐり寄せたいと考えている。



