足利縫製女学校
私たち、一体どこで誕生したの?

今からちょうど百年前、足利市が誕生した大正十年のこと。巴町にあった足利裁縫女学校(現・白鴎大学の前身)に「教員養成科」が発足した。
今や年間百人以上の新人教師を世に輩出している白鴎大学の特色は、ここから始まったのだ。
足利裁縫女学校は当時、開校6 周年を迎えたばかり。下野新聞足利支局長だった上岡長四郎が、大正4 年にたった17人の生徒を集めてスタートした小さな学校だった。
今回この連載開始で原点の場所を訪ねてみようと思った私たち取材班は、小山市にある白鴎大学内の様々な資料を調べたが、なんと発祥の地が巴町の何番地にあったのかわからない!インターネットで検索すればいとも簡単に見つかるだろうと思いきや、驚くべき壁にぶつかった。
「始まりの10年」を探して

地元・白鴎足利高校の生徒なら知っているかなと尋ねて見ると、そもそも「足利裁縫女学校が巴町から始まった」
という基礎事実も、知っていたのは227名中たった20名…一割にも満たなかった。
さらに取材を広げ、上岡を支えた2 代目校長の柴田慈光が生前に住職をしていた善徳寺、同じ巴町内の法玄寺、歴史ある織姫神社、足利市役所の資料室…どこを尋ねても得られるのは「伊勢町のあしかがとうこうコミュニティセンターが跡地だ」という情報ばかり。しかしそこは大正14年に移転した先の場所なのだ。
発祥の地はどこだったのか、「始まりの10年」を知る人物に辿り着くことは、未だにできていない。
心が折れそうになる中で、「知り合いにも聞いてみる」「載ってそうな本を探してみるね」「力になれなくてごめんね、がんばって!」と親身になって取材に応じてくださる足利の皆さんの優しさは、私たちの支えだった。この記事を読まれた方、何か情報をお持ちでしたら、ぜひ私たちまでお知らせください!

取材=野々村麻帆・高橋雅・篠田啓輝
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]