舟定の芋羊羹
守り続ける創業の味

今から百年余り前の、大正時代前半頃。東京・浅草で創業した和菓子屋「舟定」が、はるばる足利の地に移転して来た。それから一世紀以上、今も毎朝6時になると、店のあたりには芋の香りが漂い出す。舟定が開店準備で、芋を蒸し始めるためだ。やがて「芋ようかん食いてえな〜」という、登校中の男子高校生の話し声が時折聞こえてくる。そして9時半開店、今日もお客さんがやってくる。
―――舟定がまだ浅草で営んでいた頃、2代目の石川定吉さんは授かった子供を立て続けに亡くし、悩んでいた。易者に「土地が悪い」と言われ、浅草から見て良い方角にあり繊維業で潤ってもいた足利に、店を移すことを決意。移転後、息子の定太郎さんは無事に成長して3代目となり、現在の店主である5代目の真城さんまで、代々この地で舟定は受け継がれてきた。
東京から足利に移り百年越え

戦前には埼玉の熊谷まで自転車で羊羹を配達しに行くこともあったが、戦時中は食料不足で製造中断。戦後は闇市で砂糖を手に入れ、市民が喜ぶ菓子作りを再開した。
そんな歴史の糸を紡いできた老舗の息子だった真城さんを、近所の同級生たちは「毎日お菓子が食べられるんだろ?」と羨ましがった。だが実は、お祖母様から「売り物は食べてはいけない」と言いつけられ、おやつには他店のカステラを食べていたという。
店の子よりも舟定の菓子を食べていたのは、時には新潟・秋田など遠方からも訪れる常連客達だ。そんな遠くから、なぜわざわざ?理由を探るべく、看板商品の元祖芋羊羹を私達も食べてみた!
芋の素材を生かした優しい甘さと、滑らかな口どけに感動。なんとコーヒーとも合うと聞き、恐る恐る試してみると…コーヒーの苦味が中和され、洋菓子のようで非常にマッチ。美味しすぎて、あっという間になくなってしまった。
真城さんは、創業当時と変わらぬ道具・製法で芋羊羹の味を守っている。「手は抜かない。効率を求めたら、それなりの物しかできないから。」 そうして明日も朝6時から、いつものあの香りがあたりにフワッと漂い始めるのだ。
(足利駅北口から車約10分)

取材=松島翠・大橋爽乃・小高明日奏・諏訪千咲
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]