サウンドテーブルテニス
足利盲学校で生まれ全国へ

今から92年前の昭和5年、東京朝日新聞に「我国初めて盲人専用の球技」という大見出しで、盲人卓球誕生の記事が掲載された。小見出しには「足利盲校長澤田氏の発明」と書かれている!今や競技人口約千人と言われ、全国障害者スポーツ大会の種目でもある「サウンドテーブルテニス」(STT)は、足利で始まったのだ。
STTは、アイマスクをしたプレイヤーがピンポン球を打ち合い、点数を競う。少し高く張ったネットの下をくぐらせて、音の鳴るピンポン球を転がす。視覚障害者の訓練のために、そして女性でも楽しめる盲人スポーツをという思いからこのSTTを考案したのが、足利盲学校(当時)の創設者であった澤田正好校長だ。
澤田校長顕彰碑、建立へ

澤田は、幼少期の眼病で視力が低下。歩いて上京して東京盲学校卒業後、足利の自宅で鍼灸按講習所を開き、後に足利盲学校に発展させた。当時の国は「盲人に勉強は不要」という考えだったが、大正デモクラシーの中で澤田は「盲人にも義務教育を」と足利盲人革新団を組織。各都道府県に盲学校聾唖学校の設置を義務付ける「盲学校令」公布へと道を拓いた。
その後、足利盲学校は宇都宮盲唖学校の盲部と合併し、栃木県立盲学校となった。私達はそこを訪ねて、実際にSTTを体験させていただいた。卓球台の前に立ちアイマスクをつけると、本当に真っ暗。ピンポン球の音が聞こえるように誰も声を発さず、周りにも緊張感が走る。そうか、声援も送れないんだ。「いきまーす」の合図でゲーム開始!カラカラと玉の音がこっちに近づいてくるぞ。ほぼ勘でラケットを振ると、何かに当たった手応えと共にコンツと音がした。やった、打ち返せた!初めてでも意外と簡単?と一瞬思ったけれど、実際ラリーが続いたのは2、3回。やっぱりこの競技は難しい。けど、ハマりそう。
そんなSTTの生みの親でもある澤田の数々の業績を知ってほしいとの思いから、有志の呼びかけで、澤田の墓がある法玄寺境内に今秋、顕彰碑が立つことになった。没後57年、澤田は今あらためて、市民の記憶に刻まれる。

取材=三浦藍香・川又万由香・神戸美咲
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]