渡良瀬橋
歌と共に人々に愛され

今から32年前の平成5年、足利市民会館のステージで、森高千里さんは言葉に詰まり、涙した。ヒット曲『渡良瀬橋』をアンコールで歌った際、自発的に会場の皆が合唱し始めたのだ。「感動で鳥肌が立って。ここまで大切にして下さってるんだな、と…」 今回私達の取材に応じて下さった森高さんは、そう振り返る。「歌詞を作った時は、足利の人から『イメージが違う』と言われるのが正直怖かったんです。渡良瀬橋が実際にある街で歌えて、幸せでした。」
今や、森高さんは市が委嘱した「足利みらい応援大使」。『渡良瀬橋』は地元の2駅で発着メロディーにもなっている。百年カルタ[ほ]回に登場したホクシンケン食堂(昨年末閉店)は橋から歩いて30秒で、ファンが歌碑の場所を尋ねに来ることもあったという。
ファンの聖地は、橋と、たもとの歌碑と、歌詞にある「床屋」と公衆電話。モデルとなった『尾沢理容店』は明治45年創業で、かつてはこの店の前が[よ]回で紹介した鎧武者行列の整列場所だった。
店内には、来訪したファンのメッセージが並んだノートが。店主の尾沢秀俊さん(74)は、中でも「森高ファンだった奥さんを前年に亡くし、遺影を電話ボックスに置いて写真に撮る男性の姿が忘れられない」と語る。「こういう思いで来てくれるので、こちらも大切にしなければと思います。」

以前、県の土木担当者が、道路拡張で公衆電話を撤去する相談に来た。賛同者も多かったが、ファンの願いや尾沢さんの思いが通り、残されることになった。
森高さんも、撮影でこの店を訪れた際、尾沢さんがにこやかに公衆電話の説明などをしてくれたことをよく覚えている。「多分、ファンの方が来た時も同じようにして下さってるんだなと思って、すごく温かいなって…」
「ずっとコンサートでも歌い続けていく曲」と、『渡良瀬橋』を愛する森高さん。「この歌を書いたのは20代の時で、今は50代で感じることって違うと思うので、また近々仕事ではなくドライブで行ってみたいです。」
築91年。足利市制百年の歴史の殆どを見てきた渡良瀬橋は、これからも皆に愛され続けていく。

取材=室井遥花・君島太一・鈴木菜仁・實川尚真
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]