ホクシンケン食堂
苦労乗り越え〝吾唯足知〟

今から91年前の、昭和8年。渡良瀬橋の袂に、足利駅前から区画整理で一軒の食堂が移転してきた。以来その地に根付いて今に至る、「ホクシンケン食堂」だ。浅草の日本そば店をルーツに、横浜、更には台湾へとお店を移し、足利にやってきたのは大正8年のこと。その4年後の関東大震災の時には、避難してくる人々も多く来店したという。今は3代目の渡辺善弘さん(72)・秀子さん(69)夫婦が約40年厨房に立ち、足利創業105年の味を守っている。
2代目の由郎さんは42歳のとき交通事故で右足を付け根から切断。のちに妻・京子さんと、秀子さんの母も要介護となり、3代目は店の切り盛りと介護の両立を3年前まで40年近くも続けた。その間、息子さんも9歳で病没。そんな店の歴史と夫婦の日々は、大正時代から今日まで店で使われているレトロなテーブルと椅子、40年以上前から貼られている茶色に染まったメニュー表が見守ってきた。
昭和の雰囲気漂う、足利最古の食堂

メニュー表に並ぶのは、ごくごく普通の食堂の献立。でもその定番の味に惹かれ、長年通う常連客が何人も。2代目の頃から店の味を知る美容師さんは、「ソースカツ丼を食べたいから」月2〜3回やって来る。通い始めて7年目の町工場の社長さんは、「マスターは優しい人だから料理も優しい」と、唐揚げライスや生姜焼きライスがお気に入り。神奈川や仙台、福島から来てくれる人もいる。
お客さんとの会話が好きな秀子さんは、「お店をやっていて良かったとしか言いようがない」と幸せそうだ。大変だった事は「そんなには無い。通り過ぎちゃったから。」夫婦喧嘩は「長く続かない。『キャベツないよ!お皿ないよ!』とか口きかなきゃならないから。」
店内の一角には、「吾唯足知」という書が掲げられている。善弘さんが子どもの頃、当時のお客さんから贈られたものだ。われ、ただ足るを知る。まさに「楽しくどうにかこうにかやって来ただけ」と語るお二人の生き様そのものだ。
足利で一番長く愛されているホクシンケン食堂は、これからも夫婦で穏やかに、時を重ねていく。
(JR足利駅から徒歩約15分)

取材=氏家綾音・竹居あいみ・長嶋優太
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]