香雲堂本店
相田みつをと古印最中

今から67年前、昭和30年のある日。のちに有名な詩人となる相田みつをが、和菓子製造販売の「香雲堂本店」にアポ無しで現れた。当時のみつをはまだ全くの無名で、商店の包装紙デザインや宣伝文を作る仕事を細々とやっており、自分の営業のために飛び込みで訪ねて来たのだった。
仕事が欲しい、と肩書もない名刺を差し出すみつをに、先代社長の小泉芳朋さんは問いかけた。「いい物を作れる自信は?」「自信は少しもありませんが、うぬ惚れだけは一杯あります。」「ほう、あんたは面白い、頼もう!」
ーこの出会いのエピソードは、みつを自身が同店のHPに寄稿しているが、その後の両者はどんな間柄だったのか、芳朋さんの息子の小泉具行専務に伺った。
遠来の客「生きる勇気」

もともとサラリーマンだった芳朋さんは、兄の戦死で本家に呼び戻され、この出会いの8年前に家業を継いだ。菓子は作れず技術も無く、あんこの作り方は母が少し知っていたので見様見真似で勉強し、苦労して古印最中(今では同店を代表する銘菓)を作り出した。それからまだ一年という時に突然やって来たみつをと先程の会話を交わして、以来、仕事を頼む間柄になった。
自分が納得しないものが世に出ることを恥としたみつをは、店側が彼に相談なく包装紙の色を少し変えた時にもすぐ来店して「変えてはダメ、元に戻して」と求めたりした。そんな頑固さが周りからよく思われないこともあったが、芳朋さんとは小泉家で夜遅くまで呑む仲良しっぷりだった。みつをが帰らないと晩ご飯が食べられないので、子供時代の具行さんは窓から覗いて「まだいるよ・・・」と思っていたと言う。
みつをの言葉に「生きる勇気を与えられた」と遠方から最中を買いに来た女性が、みつをに会いたいと懇願し、社長が彼の家に連れて行ってサインをもらって涙ぐむ、という出来事も。今日も最中のしおりと共に、みつをの言葉は広がってゆく。
(東武線足利市駅南口徒歩10分)

取材=川野辺茜・中村花菜・深澤凪
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]