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足利100年カルタ「き」

行道山浄因寺

葛飾北斎が訪れ描いた名勝

 今から47年前の、昭和50年。足利市にある行道山が、栃木県指定名勝の第一号になった。日光や那須高原を差し置いて選ばれた、その魅力を探りに行こう!
 運動不足の取材班が急な階段や岩場などを息切れしながら登ること約30分、「疲れた」を連発しへトヘ卜でたどり着いた所は、浄因寺。山門に大きく「行道山」の三文字が掲げられている。実は「行道山」という山頂は存在せず、この名称は浄因寺の山号なのだ。

 見上げれば、そびえ立つ奇岩の上部をつなぐ一本の橋が。ここはあの葛飾北斎が描いた『くものかけはし』のモデルだという。足利の郷土史研究家で、この版画の実物を展ホしている市内の旅館「巖華園」の経営者でもある中島太郎さんに、お話を伺った。

 北斎は40代の頃、『北斎漫画』の第七編に当時(焼失前)の浄因寺と構図が全く同じ絵を載せた。同じ頃、別の本の挿絵に南隣の大岩山の絵も描いていることから、この地を実際に訪れたと考えられている。一方、70代の時の作品『くものかけはし』はデフォルメ化されており、かつて訪れた時の記憶で描いたのだろうと中島さんは推測する。

モネも所蔵「くものかけはし」

 そしてなんと、『睡蓮』等の絵で有名であるフランスの印象派画家クロード・モネの所蔵品目録に、『くものかけはし』の版画と『北斎漫画』の七編が載っていた!行道山に関する2作品を持っていたとは単なる偶然なのか、それとも行道山の風景を愛していたのか。中島さんは、「約3万点もある北斎作品の中には、まだ行道山を描いた絵があるかもしれない。新発見の可能性を秘めている」と言う。

 私達が行ったときはあいにくの雨であったが、天気のいい日には山頂部から、はるかに富士山や東京スカイツリーが見られる。『くものかけはし』に描かれている蛇のような雲も「ごくまれに本当に見られる現象で、実際に見ないとあれは描けない」そうだ。二百年以上前に北斎が眺めたのと同じ光景を、私達も見てみたい!

北斎の描いた橋を見上げる記者

取材=川野辺茜・粂川美菜・三浦藍香
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]

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