銘仙よ再び
市民の誇り復活目指し

今から約85年前の昭和14年頃、当時人気の絹織物「銘仙」の中で、足利銘仙が生産高日本一になったと、多くの資料に記載されている。
足利で生産された絹を素材とした足利銘仙は、江戸時代中期頃からあったといわれ、大胆な柄などのデザイン性と色鮮やかさが特徴。「柄の足利」といわれるほどの技術で人気があった。
その後、普段着が和装から洋装へと変化した時代の流れで昭和30年代には衰退してしまったが、ピーク時には〝ガッチャン〟と織り機を一回動かすと〝万〟のお金が儲かるとまで言われ、通称【ガチャマン】と称されていた。
〝ガチャマン〟の夢に挑む
今、そんなガチャマン時代の夢をもう一度、と奮闘している人達がいる。その名も「ガチャマンラボ」の経営者・高橋仁里さん(48)。平成28年の第2回とちぎビジネスプランコンテストで最優秀賞も受賞したアイデアマンで、銘仙についても機械化に挑戦したり、パリコレにまで乗り込んで足利銘仙に世界の視線を集めたりしている。
そんな高橋さんとタッグを組むのが、「鶴貝捺染工業有限会社」の鶴貝雅廣さん(73)。約6年前から一緒に活動を始め、現在は鶴貝捺染が柄を作り、ガチャマンラボが生地を織ることで〝世界の足利銘仙〟を目指している。鶴貝さんは、洋装に合わせた広い幅で染められれば小幅な生地より売れると考え、何度も失敗を重ねた末に、今や世界で唯一人、1メートル16センチという広い幅で銘仙をプリントできるようにまでなった。
そしてついに一昨年、「足利銘仙」という名称は特許庁の〝地域団体商標〟に登録され、地域ブランドとして国からお墨付きを得た。
それでも、二人の目指す道はまだ険しい。パリコレは、時間ばかり取られてなかなか儲からない。そこで、銘仙の端切れをトートバッグのポケットに使ったり、インテリアとして生地を活かすことを検討したりと、模索は続いている。
「足利市民の皆さんに、誇りを持ってもらいたいんです」と熱く語る、高橋さん。こうした人達によって、足利銘仙は伝統工程の根幹は守りつつ、時代に合わせてまた進化していくのかもしれない。

取材=小高明日奏・小林菜々子・若菜恵実
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]