沼尻了俊さん
留学から「あれま」へ

今から4年前の、令和元年。日本三大毘沙門天の一つ、足利の山深くにある最勝寺の将来の後継ぎである沼尻了俊さんが、フランス留学から帰国した。学んで来たのは「まちづくり」。これがやがて、故郷で活かされることになる。
それ以前、京都大学で都市社会工学を学んだ沼尻さんは、帰省の度に「コロッケを買っていたお店が駐車場に、古い感じでいいなぁと思っていた民家がコンビニに」様変わりしてゆくのを見て、「町が寂しくなっていく」と実感。豊かな歴史・文化・自然を活かしたまちづくりを決意し、声をかけ集まったメンバー10人で昨年NPO「あれまの会」(略称)を設立、 理事長となった。
あの山火事を止めた?七弁天

この会が最初に作った「足利長尾七弁天マップ」は、何やら興味深い。水と関係が深い弁天様の7箇所の配置が、一昨年のあの足利の大規模な山火事の延焼が止まった線と偶然とは思えぬ重なりになっているのだ。あの山火事の最中に市が目標として掲げた拡大阻止の最終防衛ラインは、七弁天のうちの6つを線でつないだ結界とほぼ一致している。まさしく〝あれま〟、そんな話があったなんて!.
沼尻さんは次に、足利の「石尊信仰」にまつわる〝あれま〟を広める計画だ。石尊信仰とは、神奈川県の大山を中心とする山岳信仰。江戸時代にこの大山参りが流行したのだが、足利から神奈川まで行くのは大変で、当時の人々は近くの山を大山と見立ててお参りしていた。その痕跡が、実は足利の山という山に隠れているのだとか!
このように沼尻さんは、「面白い事の第一発見者になれる」楽しさを教えてくれた。会の正式名称は「足利歴史まちづくりの会」だが、その頭文字で「あ・れ・ま」と略したのではなく、なんと先に「あれま!」という感嘆符が浮かんだのだという。見つけて驚いた「面白い事」を広めて若い人が足利の歴史の凄さを知り、引き継いでいってくれることが、活動の目的だ。
足利の街への願いというよりも、「今暮らしている人、これから先いてくれる人たちが幸せだったら」…それが、沼尻さんの願いだ。
(最勝寺は足利駅から車25分)

取材=氏家綾音・松島翠
[白鴎大学地域メディア実践ゼミ]