武士+画家 渡辺崋山が歩いた両毛(足利行)
幕末初期の天保二(一八三一)年十月、桐生の町医者奥山昌庵と買継商佐羽蘭渓の案内で、崋山、内弟子の梧庵と四人で足利へ向かった。目的は足利の文化人たち、とりわけ五十部の代官岡田東塢と交流するためだった。東塢は江戸に学び、長崎や京都など諸国を遊学し、学問にも絵画にも通じた足利を代表する文化人である・・・