追悼 HIROE KATOさん
弊誌渡良瀬通信に連載していた『ななころびやお記』の筆者「HIROE KATO」さんが2月4日に逝去された。
KATOさんと知り合うきっかけとなったのは、1997年に「大泉町文化むら」で開催された『尾形イッセイ一人芝居』でだったと思う。このイベントは彼女が(多分)一人で企画し、一切を仕切っていて、超多忙のKATOさんを通して、尾形氏にインタビューを申し込んだ気がする。
以来、ときどき電話でのやりとりをしていて、彼女の行動範囲の広さには、相当驚かされたものである。通夜で会った彼女の元同僚が「知名度は全国区だからね」と、話していた。
何度か、群馬県出身あるいはゆかりのアーティストの紹介記事を提供してくれたこともある。その中には、まだまだ無名時代の「back number (バックナンバー)」も入っていた。
とにかくいろいろなもの・ことに興味を持って見ていて、弊誌への寄稿を依頼したときも二つ返事で承知をしてくれた。「こんなイメージのページにしたい」と積極的に関わってもいただいた。
一年前、自身の体調のことを打ち明けられた。すでにがんを発症していたこと、いつ書けなくなるか分からないことなどを、食事をとりながら…
「もう、書けない…」と連絡があったのは、昨年の11月末。「休筆にしておいて…」と言っていた。「病気だからということは、読者に知らせないで…。書ける状態になったらまた書きたいので」とも。しかしその願いは叶わなかった。
編集室には「体調が戻った時に」ということで、1回分の原稿が託されていました。今となっては遺稿となってしまいましたが、このコーナーを楽しみにしていた皆様にお届けします。
2007年2月号にスタートした『ななころびやお記』でしたが、12年の間、編集者として楽しく読ませていただきました。KATOさん、本当にありがとうございました。どうぞ安らかに。
渡良瀬通信/野村幸男&スタッフ一同