黒澤監督から大林監督へ、
そして若者への遺言『俺の続きをやってよね』
本誌が出回るころには、「あしかが映像まつり」が開催されていて(2月24日、25日)、主会場の「ユナイテッド・シネマアシコタウンあしかが」では、足利にゆかりのある作品の上映および関係者のトークも予定されている。先月号の「サロンインタビュー」で登場していただいた村田雄浩さんが出演している「花筐」も、この期間中に上映される。上映後は村田さんとともにこの映画に出演した窪塚俊介さんのトークも。
その「花筐」を監督した大林宣彦さんが昨年6月、東京で開催された「SSFF & ASIA 2017アワードセレモニー」の表彰式の場で語った若い人たちへのメッセージが残されている(http://www.shortshorts.org/filmfestival/detail/ja/4732)。アワードの審査員だった大林監督は、「花筐」のクランクイン前日に末期がんを宣告されていた。
メッセージの中で大林監督が一言一言、心の底からしぼり出すように語ったのは、黒澤明監督から託された「未来の映画人への遺言」であった。それを若い映画人たちに伝えるために命がけで、今、話しているという。前半は戦争の悲惨さ、原爆の悲劇について。『(今は)戦争の理不尽をよく知っている人たちがいなくなってしまった。このことが怖い』と。
(以下は抜粋)
黒澤監督は『大林くん、人間というものは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。こんなに愚かなものはないけれども、人間はなぜか映画というものを作ったんだなあ。』『俺はもうじき死ぬけれど、映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く、そういう美しさと力がある。しかし、戦争はすぐ始められるけど平和を確立するには400年かかる。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界を平和にしてみせるけど、俺の人生ではもう足りない。あとは君が、その次は君の子が、さらに孫たちが、少しでも俺の先をやって、いつか俺の400年先の映画を作ってくれたら、その時はきっと映画の力で世界から戦争がなくなる。それが映画の力だ』と言っていたという。
黒澤監督が大林監督に託した最後の言葉は、『お願いだから、俺たちの続きをやってね。映画というものは、記録装置ではなくて記憶装置だから。人と人との心のつながりが、物語としてつなげるんだよ。それが映画の物語のいいところだ。この物語が、嘘をつきながら真を描くことができるんだ。』
大林監督は、言う。『戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という凶器に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です。政治や経済や宗教までもがどうしても正義をうたうときに、私たち芸術家は、表現者は、人間の正気を求めて、正しい人と人の幸せの在り方を築いていこうじゃありませんか。健全な正気の社会とは多数決ではなく、少数者の意見が尊ばれることである』と。
あいさつの最後に大林監督が力強く締めくくった。
『若い人たち、俺の続きをやってよね』
さて「映像のまちあしかが」も、構想が発表されて5年目になっている。市では「映像のまち推進課」を設け、映画撮影の支援や誘致を行っている。撮影実績も昨年度は60本にもなり、撮影関係者の間でも足利は知られた存在になってきたという。市内ロケにあたっては市民の多くがエキストラ参加をしたり、また市内の飲食店では映画関係者が食べたり飲んだりしている姿を見かけることがある。撮影を話題にした会話もそちこちで聞こえてきたりする。数年前よりは、少しはまちなかが元気になった気もする。
が、問題はこれからだ。足利で多くの撮影が行われ、それを支援することに異論はない。しかし、不安も感じる。何本も足利市内で撮影されるということは、ロケ地の切り売り・消費をしているように見えるのだ。いずれ新鮮な商品がなくなる、『売り物』がなくなるのでは、という不安である。
そしてもうひとつ。 おそらく担当部署ではすでに考え、手も打っていることと思うが、「映像による雇用の創出」である。「映像のまち構想」の最終目標はこれだと思っている。 黒澤監督は「映画の力で戦争をなくすには400年かかる」と言っていたようだが、「映像のまち」を標榜できるようになるのは、いくら何でもそうはかからないだろう。
いずれにしても、撮影誘致・支援だけやっていたのでは、ことは運べない。「撮影誘致」が、「映像産業誘致」という言葉に言い換えられる日がくることを期待している。そのとき、真に「映像のまちあしかが」と胸を張って言いたいのである。