15年前に見た初夢
「イベントに頼らない」まちなかの活性化
この仕事の先輩、友人、知人に指導を受けながら弊誌を創刊して間もなく38年。今でも忘れない大先輩の助言がある。それは「10の取材で3つか4つ書けばいい」「小学5~6年生にもわかる原稿を書け」だった。つまり「取材したことを全部書こうとするな。原稿は難しくするな、誰が読んでもわかるように」ということ。
しかしいくつになってもその教え通りにいかない。「小学5~6年生にわかる原稿」どころか、「小学5~6年生レベル」がやっとの小生なのに、ずいぶん長いこと、このコーナーで言いたいことを言わせてもらったものだ。最近は「もういい加減にしたら?」という声が近しい人からも聞こえてくる。確かにそうだ。もう、稀なトシなのだから。
ということで、この「たんたん」も今回が最終回。そこで、これまでの135回のこのコーナーで、小生が最も記憶に残っている15年前の「たんたん」を再録します。
—–初 夢——
最近は、あまり「夢」など見た記憶がなく、見たとしても朝起きればほとんど忘れてしまっている。ところが、めずらしく「夢」を見た。しかも「初夢」である。笑われるかもしれないが、どうせ「夢」だ。しかもめったに見ないし、せっかく覚えているのだから、この際、話してしまおうっと。
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千葉から久しぶりに友人が訪ねてきた。そこで小生が足利を案内している。
ぼーっとかすみがかかっているような感じがいかにも夢なのだが、まず織姫山頂ホワイトパレスにいる。そこは何と「相田みつを記念館」となっている。たしか一階、二階が展示室で、三階が喫茶室。ミュージアムショップもある。けっこうお客さんも多い。喫茶室では全国から訪れる相田さんのファンが、ゆっくりお茶を飲みながら、相田さんのふるさとを確認しているようだ。ここからは足利の街はもちろん、天気が良ければ足元からひろがる関東平野を一望することができる。作品を観て心を洗われ、景色を見てホッとすると、となりの席の人が話している。
そうそう、このあとも歩いて足利の街を案内するため、ここまでは市内循環のバスで来たのだった。
記念館横の古墳の下から階段を下りて織姫神社へ。最近はこのコースの評判もいいようで、観光客らしき人もそこそこいる。神社には神主もちゃんといて、客に何やら説明している。
神社からさらに下る。石段の途中の「おりひめ茶屋」もどうやら毎日営業しているようで、店主に聞くと「細々だけど何んとか、ネ」といっている。
ようやく階段を下りきって、北仲通りを鑁阿寺方面へ向かって歩く。この通りと、少し裏に入った露地には、小さいながらも私設の美術館や博物館がいくつかできている。たとえばガラスの美術館や、個人の蒐集家が集めた逸品を展示する美術館などだ。中にはグリコのおまけやキャラクターグッズだけのものとか、入館は有料だけれども見ていて楽しくなるものが多い。少し離れるが市役所北には「片倉康雄記念館」もできて、こちらにも全国から「そばファン」が訪れるという。この通りには地元の工芸作家の作品を主に扱うギャラリーもあって、小さな美術館と相乗効果を生んでいるようだ。
さらに、これらの美術館やギャラリーの間には、「京風の茶店」や「めし処」、「レストラン」などが、路地裏までも使って出来ている。今のところビックリするほどの人出ではないが、これまでと比べればずいぶんと変わったものだ。
幸いしているのは、この一角で一時持ち上がった区画整理が白紙になったことだ。その代わり、危険そうな空き家などは、可能な限り整理され、古い街並み、露地が少しずつ生かされるようになってきた。区画整理事業に比べれば、はるかに小さい予算で出来ているらしい。
まちなかの足利学校は日本で最初の総合大学であり、「鑁阿寺で合格祈願を」という宣伝が功を奏し、学生や資格試験を受けようとする人のお参りが、これまでの数倍に増えているそうだ。確かにまちの中が少し変わってきた気がする。お客をまず山の上に誘導し、そこから「下へ歩かせる」というのが良かったようだ。そのために、河川敷の大駐車場からも循環バスが出ている。
帰りはのんびり歩きながら、駅へ向かう。最後は駅近くの「華雨蔵珍之館」で、本場中国でもなかなか見られないという中国の碑拓を見る。ここにはすべての書の原点となるものがたくさんある。
友人も久しぶりの足利に十分満足したようで、案内をした自分も少しばかり鼻を高くしていたのだが、その友人が誰だったのか、今となってはまったく覚えていない。
さて、ここまでが冒頭にも書いたように、この正月に見たホントの「夢の話」である。「夢」というのはいったいどのくらいの時間見ているのかしらないが、眠りから覚めれば消えてしまうものだ。そこで読者の皆さんにもお願いしたい。この文章は一度読んだら、あとは忘れてほしい。文中に登場する関係の方々、施設には断りもなく、勝手に名称を使わせてもらったものだから。
弊誌2003年2月号の「たんたん」である。小生が見た夢を文章化したものだが、今でも、こんな足利になったら足利のまちなかが活性するだろうと思っている。これが現実の話なら、もう少し書き足したいこともあるのだが…。
さて来年からは、気が向いたときに書かせていただこうかな?そのときは「だんだん」というタイトルで。