めぶく ~本気でまちづくりを始めた前橋~

2000年前後、足利で当時は若手と呼ばれていた人たちが、盛んに「まちおこし」を企んでいた時期があった。バブルがはじけ、繊維産業も一時代を通り過ぎて、そのころの足利は周辺の都市よりも先に、街並みの衰退が始まっていた気がする。

 それよりさらに十数年前から、中心市街地では活性化資金といわれる補助金を使って、あの手この手で街なかの再生に取り組んできたが、かつてのにぎわいを取り戻すことは出来ていない。

 「足利の再生」「まちなかの活性」に取り組もうとしていた冒頭の若手の人たちがお手本にしようとしていた?のが、明治25年に結成された「足利友愛義団」。

 「足利友愛義団」は足利の地場産業である機業の青年たち(多くは20代だったそうだ)を中心に組織され、当時の足利の都市基盤整備を中心に、近代足利のまちづくりに大変な貢献をした。たとえば公園の整備や水道の敷設、電燈、電話の架設、足利での英語教育や幼児教育、廃娼運動、銀行(足利銀行の前身)設立、今の人たちにもわかり易いことでいうなら、東武鉄道の足利への延長や渡良瀬橋の架設も提唱していた。

 相変わらずだが、足利のまちづくりを語るときに「友愛義団」の名が出てくることが多い。しかし、残念ながら「友愛義団」の爪のかけらほどのまちおこしも出来ていない。

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 8月3日、前橋で「前橋ビジョン発表会」という催しがあった。「民間の視点から前橋市の特徴を調査・分析し、将来に向けて前橋はどのようなまちを目指すのか、を示す」というイベントだった。当日は会場に行けなかったので、以下は新聞等の記事を参照したものである。(産経及び東京新聞群馬版、上毛新聞)

 「前橋ビジョン」は、前橋市を魅力ある都市にするために、官民一体でつくったまちづくりの基本理念。前橋市内などに事業所を置く17の企業で設立した「太陽の会」が中心となって策定したそうだ。それを具現化するために、それぞれの企業が毎年純利益の1%を拠出し、前橋の活性化に投資するというもの。

 主導したのは眼鏡チェーン「JINS」の田中仁社長。「前橋再生」を合言葉に、趣旨に共鳴する企業家を募った。17社のほとんどが30~50代の人たちだという。1社の最低額は100万円。つまり純益が1億円に満たなくても最低額を負担するということで、全体では最低でも数千万円になる見通しだそうだ。

 ある社長は「どの企業にとっても、毎年となるとお付き合いでというわけにはいかない」という。つまり、本気で再生に取り組むということである。

 「前橋ビジョン」を発表したこの日の会場の「ヤマダグリーンドーム前橋」には、4千人の市民が参集し、山本龍前橋市長、田中仁社長、そして前橋出身でコピーライターの糸井重里氏のトークに聞き入った。糸井氏はこのビジョンを策定するにあたり無償で参加、今回決定した理念の「めぶく。」も糸井氏の手になる。 次の日の地方紙に、この理念を掲載した1ページ広告があった。糸井氏の文章で…

Where good things grow. ※
その芽は、まだ小さい。
風に吹かれ、雨を待ち、太陽の熱さにその身をあずける。
そしていつか、枝をつけ、葉を繁らせ、
強く太い幹となる日を夢見ている。
人は芽だ。この地は芽だ。そしてつながりは芽だ。
いまは幼い芽だけれど、未来の大樹を隠し持つ芽だ。
     (中略)
きっと、芽吹く。
前橋の大地の下にはたくさんの種が、そのときを待っている。

tantan_2016-10

 「自分たちの街は自分たちでつくる」と、この日、12の事業が発表された。 「太陽の会」では第一弾として、江戸時代から続いていた街なかの老舗旅館(2008年から営業を停止していた)を交流機能も持った高級宿泊施設として蘇らせる。ほかにも「前橋ビジョン」に心を動かされた人たち、たとえば都内で「ミシュラン」の星を獲得しているレストランや、やはり都内の有名パスタ店の総料理長が移住・出店することを表明しているという。さらに県内の企業や団体も具体的な動きを始めたようだ。

 糸井氏は「ビジョン発表会」のことを、自身のブログで「市役所、企業人、若い人たち、お年寄りが、“日本中の地方都市の先頭になろう”と決めたという。まだ、はじまってもいない夜に、ぼくは興奮した」とつづっている。

 前橋が本当に変わる気がした。地元の企業が本気でまちおこしをしようというのだから。

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この話を聞いて、まさに「これぞ現代の友愛義団」と思った。市民(企業人)が身銭を切って、本気でまちづくりに取り組む。我がまちにも「平成の友愛義団」を望みたいところである。

※ Where good things grow.=良いものが育つまち